パニック以後

けんとの絆深まる

日曜日のパニックがあってから、けんは僕によく甘えてくれるようになった気がする。そんな気がするだけかとも思っていたが、Y子にもそう指摘されたので、どうも事実であるらしい。以前はY子にべったりで、Y子が部屋に戻るとけんもまたついていくという感じだったのだが、今夜はY子が戻ってもわざわざ僕に甘えに来て、例によって膨らみながらあちこち移動したあと、ころりんと倒れてブラッシングを要求する。それに何より、僕と一緒にいる時間が増えた。パニックはけんとの絆を深めてくれたようである。

今夜、思い立って長らくしまってあったキャリーケースを取り出して居間に設置してみる。ふたりともあまり入らなくなったので、押入れにしまってあったのであるが。取り出してみると、早速ふたりとも興味津々で寄って来る。キャリーは大小二つあって、春にワクチンを受けに病院に行ったときは、小さいほう(とはいえ通常のサイズよりは大型)にこうが入ったのであるが、いまみるともうそれが信じられないほど小さすぎるように見える。ふたりとも、春からもずいぶん成長したのだろう。新しいキャリーを買わなければな。ところで、大キャリーにはこうが独占しておさまって、入りたそうなけんはそばでじっと見つめるのみであった。何ごともまず兄貴分からということか。


フランス革命事典』。とりあえずは、イタリア戦役、ヴァレンヌ逃亡、ヴァンデの反乱、革命的事件、革命とヨーロッパ。恐怖政治。ヴァレンヌ逃亡後の、国王の性格をめぐる議会での議論が興味深い。

革命的事件でドニ・リシェはいう。1793年6月2日の蜂起は、直接的権力への古い民衆の情熱を呼びさますことで代議制、議会主義に致命的な打撃を与え、フリュクティドールとブリュメールを予告するものであった。それはジロンド派の敗北を意味するだけでなく、フランス革命そのものの敗北であったと。一方で、恐怖政治を要求した同9月5日の蜂起は、結果的にロベスピエール派の独裁をもたらし、コミューンは無力化され上から来る命令の伝達機関と化し、パリから自律的組織が消えた。テルミドール9日に大規模な蜂起がなかったのは、こうして革命が凍りついてしまっていたからだ、ともいう。二つの議論はどう結びついているのだろう。代議制と議会外の勢力との関係、難しい微妙な問題である。

ところで、この事典の項目の並び方、なんかランダムに並べてあるみたいで(第一巻は「イタリア戦役」ではじまって「連盟祭」で)面白いなと思っていたのだが、何のことはない単なる五十音順だったんですね。