兄と弟(二)

猫タワーで熟睡する兄

兄と弟という観点からみると、けんこう兄弟がまた違った様子に見えてきて面白い。弟「けん」は、兄「こう」のすることをすべてまねしたいようにも思える。たとえば、猫キャリーの中にじんどった兄と、それを近くからじーっと見つめる弟。弟は兄が出て行ってからようやく入ることができる。一方、兄「こう」は、ぼくらと遊んでいるときなど、けんが後からやって来たら、みずからすすんで弟「けん」に遊びをゆずってやったりもする。兄が眠っていると弟は寂しいようで、猫タワーの中で眠る兄を弟は伸び上がって覗き込んだりしている。などなど。


フランス革命事典』。クーデタ、国王裁判、サン=ドマングの革命、選挙、全国三部会、大恐怖、バーゼルとハーグの条約、八月四日の夜、非キリスト教化、ふくろう党、ブリュメール一八日、連邦主義、連盟祭まで。

以下、メモ的に。

「恐怖政治」(フランソワ・フュレ)。恐怖政治の原因を、当時の内外の状況にのみ求めるべきではない、恐怖政治は、フランス革命の文化の性格に深く関わっているとして、フュレは以下の三つをあげる。(1)人間の再生という思想、(2)政治がすべてを可能にするという思想(主意主義)、(3)革命が人民を王の地位につけたこと。革命は公権力を神の支配(国王の絶対的な権力)から解き放ったがゆえに、その限界を定めること、アメリカのように諸権力を相互に無力化させるシステムを構築して公権力の行使を規制することをしなかったこと、および人民の一体性を前提とした絶対的で不可分の新しい主権という「主権概念の誤謬」(シエース、共和国四年テルミドール二日の演説)に関わっていると。

中世末期から一七八九年まで、代表するという行為は命令的委任であり、各共同体の陳情を国王に伝達するというものでしかなかった(「全国三部会」)。一七八九年の立憲議会がつくりあげた代議制は、不可分の国民、不可分の主権という名のもとに、束縛も統制もまったく受けずに主権を行使する議員を選ぶことであった(「選挙」)。一七八九年の議員たちにとって、民主政=法の形成に対する全員の直接的協力は、すぎさった古代共和国のものでしかなく、現代(当時)においては混沌と無政府状態をもたらすものでしかないと認識されていた(「連邦主義」)。

うーむ。「代表制」だけでなく「主権」の概念も考えないかんということか。