待ち合わせて、Hさん、Yさんと打ち合わせ。
初めてみたハチ公の像は思ったよりも小さくて、目立たなくて、周囲の喧騒の中に取り残された感じ。でも、そういえば猫の像って知らないなあ。まあ、犬もハチ公のほかは、西郷さんのつれてる犬くらいしか思い浮かばないけれど。
猫というと、『枕草子』に出てくる位をもらった猫というのが有名だけど、それ以後はというと鍋島藩の化け猫騒動とか、猫又とか、あんまし良いイメージではない気がする。明治、大正の小説家とか、少しは猫のこと書いててもいい気がするけど、あんまし思い浮かばない。『吾輩は猫である』は猫のことじゃなくて、人間のことしか書いてないし。きしさんによると、啄木の歌があるそうだけど、これも良いイメージじゃない。谷崎も記憶では良い話ではなかった。とか言う話をしていると、宮沢賢治がいるじゃない、とY子。宮沢賢治わからへんねん、と言うと、もっかい読んでみなさいと言われる。
何だかいきなりギリシアづいた。
昨日は、『タウリケーのイーピゲネイア』
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今日はうるが亡くなって2週間目。だいぶ前の気もするし、もう2週間もという気もする。Y子とお酒を飲む。うるの最期の話をあらためて聞いた。あらためてその様子を聞くとショックだ。あなたは見なくて良かった、とY子。だが、できれば最期を見とってやりたかったと思う。永遠にY子の心の中にのみ封印された記憶。それをぼくは共有することができるのか。
イーピゲネイアは生贄として殺されたとするのが、正統な伝承のようだ。だとすれば、イーピゲネイアの死を悼む人々の、その深い追悼の心が、アルテミスによる救いというもう一つの伝承を作ったのだろうか。
うるの苦しみを、そしてY子の苦しみと悲しみを、どのように受けとめ、昇華していけばいいのだろうか。