お別れ

病気になってからのこうは、不思議なことにあれほどお気に入りだったY子の部屋に一歩も立ち入らなくなった。一度だけ退院してきた夜に、そこがいちばんくつろぐはずだからと連れて行ってやってみたが、不自由な足で決こうは決然と立ち去ったのである。Y子の部屋で発症したので苦しい記憶が残っているのかとも思ったが、この場所には元気になってからと決めていたのではないかとY子。しかし、「僕はもうだめだからこの部屋(とY子のこと)はけんちゃんにお任せしましたよ」と、どこかの段階でけんにそう言ったのではないかと、昨日ふと思った。

猫部屋や僕の部屋で倒れているこうを、けんは心配そうにそうっと覗きに行くが、そのたびにこうは「大丈夫だからくるな」としっぽで合図をしているようであった。

亡くなる前の夜、こうは僕の部屋と居間の境目で横になりながら、涙を流しているように見えた。体の不調でそうなるのかとも思ったが、今にして思えば泣いていたんだろうと思う。おやすみと僕らが寝静まったあと、こうは最後の一回りをして、Y子の部屋の前であーと最後の挨拶をした。それまでとは異なり、その夜、こうはまったく鳴かずに静かに過ごした。

おおらかでちょっと抜けたような感じのあるけんだが、すべてを理解しているようで、僕らが寂しそうにしているといつものように愛嬌たっぷりに甘えに来てくれる。しかし、そのけんも、こうが最後の日々を過ごした猫部屋の方を遠くからじっと見つめたりしている。

比較的苦しまずにすんだと思う。そして最後まで美しい姿のままであった。誇り高い最期であったと思う。

帰ってもこうのいない夜。あまりにも寂しい。しかし、いちばん寂しいのは、生まれた時からずっとこうと一緒にいたけんだろう。気をつけてやらないとと思う。