お見舞い

パソコン台から何かを凝視

土曜日は祖母を見舞いに、Y子とI駒地区にある病院へ。地道を指定するナビ様に逆らって高速に乗るが、天王山トンネルの手前あたりから大渋滞に巻き込まれる。今年は休みをとらなかったのでピンと来ていなかったのだが、もう帰省する人たちも多いのだろう。そういえば金曜夜の新幹線も超満員であった。結局、ふだんは2時間かからないところを3時間半かかってようやく病院へ。すでに神戸の両親が見舞いに来ていた。

祖母はぐっすり眠っている。容態が良くなく急変することもありうるのでと先週はじめに連絡をもらっていたのであるが、見た目には前に訪れた時と変わらず元気そうに思えた。といっても仕事が忙しいだの休みがないだの疲れがたまっているだの、なんのかのと理由を付けて、見舞いに訪れたのはずいぶん久しぶりのことなのであるが。祖母は、木曜日くらいからだいぶ落ち着いたらしい。そういえば入院する前は病気をしたという記憶もない、身体も丈夫で気も強い、働き者の祖母であった。

眠っている祖母を囲んで、祖母の手を握りながら、なんとなくみんなで話をする。N瀬の祖母の家、みんなで昼寝をしながらゆっくりと話をした、あの遠い夏のことを思い出した。

それにしても渋滞はしんどい。少し前までは多少渋滞しててもへっちゃらであちこち遠出したものだが。あまりに疲労感が強いので、帰路立ち寄ったSAで売っていた、ハンドルを握りながらつぼを刺激して疲労回復、なる商品を買ってみる。早速取り付けてみると、これが異常に効く。ほんとに身体が楽になった気がしたけど、まあY子の言うように効くと思うから効くのかな。

日曜日。Y子朝から仕事へ出かける。僕はけんこう兄弟とお留守番。先週したばかりなので、留守番も堂に入ってきた。けんもこうも慣れたのか、いつもと同じように眠っている。夕方、けんがからだを膨らませて甘えにやって来た。夕方、Y子を迎えに行って、帰りに近くの焼肉屋で食事。

ミシェル・フーコー講義集成〈7〉安全・領土・人口 (コレージュ・ド・フランス講義1977-78)

ミシェル・フーコー講義集成〈7〉安全・領土・人口 (コレージュ・ド・フランス講義1977-78)

とりあえず1月11日から2月8日の講義まで。いやあ想像以上に面白い。ノート作ってちゃんと読もう。