Y子を待ちながら

ベッドの上のけん

久しぶりの良いお天気。日光に当たっていると春のようだったが、まだ風は冷たい。

ここのところY子が仕事で遅くなり、僕のほうが先に帰宅しているのだが、以前はただいまと声をかけても眠そうな目をこちらに向けるだけだったけんが、玄関まで迎えに来たり、居間まで出てきて甘えたりするようになった。今朝など見送りにも出てきたからけっこうな変化だ。寂しいんだろうなあ、できるだけかまってやらなければと思うのであるが、こうも含めて僕一人だけだとやはり物足りないようで、いつもと感じが違って妙におとなしい。かくいう僕もやはり寂しいのは事実で、もうすぐ帰ってくるよとふたりに言い聞かせながら、三人でY子の帰りを待つのである。

ソヴェト旅行記 (岩波文庫)

ソヴェト旅行記 (岩波文庫)

本屋で偶然発見し、こんなもん今誰が読むねんと思いながらぱらぱらとページをめくっていると、意外にもぐいぐい引き込まれてそのまま購入。

私は惟ふ。今日如何なる國においても、たとへヒットラーの独逸においてすら、人間の精神がこのように不自由で、このようにまで壓迫され、恐怖に脅えて、従属させられてゐる國があるだらうかと。

どこで間違って覚えたのか、ジイドのソ連紀行はソヴィエト礼賛だと思い込んでいたのだが、たしかに愛憎相半ばするようなところはあるものの、かなり痛烈な批判を展開している。ジイドがソヴィエトを訪れたのは1936年の6月から8月。年表を見ると、この年2月にスペイン人民戦線内閣成立、3月ラインラント進駐、5月ブルム人民戦線内閣、7月スペイン内戦、8月ジノヴィエフカーメネフに死刑判決、11月日独伊防共協定、12月スターリン憲法発効と、まさに激動の時代であり、すでにスターリンの弾圧と粛清が本格化する時期だが、ジイドの旅行記では政治的な出来事については遠まわしにかふれられず、彼の批判はもっぱら彼が眼にしたもの、人々のあいだに蔓延している精神的なコンフォーミズムに向けられている。

また、外国の状況への無知(強制されたものだが)や「恵まれない人々」への無関心にも批判は向けられていて、後者についてはプチブル的な精神だと弾劾されていて、なかなか興味深い。

と、いうようなことを帰り道F君と話していて、ジイドってカトリック作家やんな、いやいやプロテスタントですよ。ああそうでした、彼の伯父だったかが経済学者のシャルル・ジイドでプロテスタントの家庭に育ったということをいつぞやの羊の会で勉強したところでしたと、基本的知識の欠落を猛省する。しかしこの時代のフランスで、プロテスタント社会主義で反ソ連で同性愛で(なおかつ文学者で?)というのはなんかもうものすごいマイノリティなのではないかと、このジイドという人物に俄然関心が沸いてくるのであった。

昨夜、Y子に肩と背中を揉んでもらって、お風呂にゆっくり使ったおかげで、手は少しましになる。昨日は絶望的に思えた仕事もようやく山を越えたような気もするのだが、多分これは気のせいだろうな。