一夜明けて

detti2006-06-19

言いたいことはいろいろあったが、一夜明けると書く気力もなくなってしまった。決定的なチャンスは何度もあったのに、1点のなんと遠いこと! それにしてもあの柳沢は……。オーストラリアは日本戦よりもかなり動きがよくなっているように思った。ブラジルはいいのか悪いのか。まあ2点とって勝ってはいるのだが。フランスも苦しくなった。アンリはジダンと合わないのかなあ。


昨日は南大阪で都市の成り立ちの話。神戸や阪神間の話も出た。御影や住吉に邸宅街が形成されたのは明治33年前後のことらしい。小林一三の阪急による最初の宅地開発が池田室町の明治43年だから、それに10年先駆けている。住吉に官営鉄道の駅があったため大阪・神戸への利便性がよく、富豪たちが目をつけたということだ。住吉駅ができたのは明治7年、大阪・神戸間の鉄道開通と同時で、このときにできた駅は住吉のほかに神崎と西宮のみ。でもどうして住吉に駅ができたのだろう。当時はそれほど大きな集落ではないはずだが。灘の酒の関係か、あるいは有馬への起点として? ともあれ当時は風光明媚なところだったことに間違いはないようで、大正12年に住吉の東隣、岡本に移り住んだ谷崎もたしかその眺望の良さを書き残していたはずだ。しかし、もともとそこに集落があったことは事実なのだが、邸宅街の住人たちともともとの集落の住民たちの間にはどのような交流があったのだろう。