死を待つ時間、

その間に、ぼくらは何をすればよいのだろう。


昨夜、ずっとうるを見守る。うるはじっとうずくまっている。衰弱が激しい。それでも病院にいたときにくらべると、いくぶん落ち着いているようには見える。時おり声をかけたりなでたりしながら、じっと見守る。たまにうるは水を飲みたそうにするのだが、顔を水の前に持っていっても、その先がなかなか動くことができない。時間をかけてゆっくり飲む。うるの目が半分開いていて、しゅん膜が出ているせいか、うるが泣いているように見える。


前日までも、何かをうるにしてやれていたわけではない。ただ、声をかけてなでてやって見守る。そのこと自体は前日までと何も変わっていない。だが、何かが決定的にちがう。その「何か」とは何なのだろうか。


輸血を断念した決断について、いまも考える。後悔しているのではない。その意味を考えている。


最近読んで感銘を受けたT先生の論考。「危機における決断の意味は、真の決断をなすことによって明らかになる。そのことによってのみ、真の決断と不決断との区別が明らかとなる」。


Y子は躊躇なく、輸血を断念するという決断を下した。ぼくは少なくとも、あの段階では迷っていた。Y子が決然とそう言わなければ、おそらく輸血をしていただろう。だがそれは、決断を先送りにするだけのことだったのかもしれない。少なくともY子の決断は、うるとぼくらのおかれている状況を、危機の意味を明らかにしたのではないだろか。


Y子のおじいさんは、10年以上も意識がない状態で治療を続けた。
Y子の決断の背景には、そのような経験がある。


ぼくには、人の死を看取った経験がない。


酒を飲みながら、じっとうるを見守る。
いつの間にか寝てしまっていて、気づくとうるはいない。


Y子は夜中に備えて仮眠している。だが、Y子がなかなか起きてこないので、少し口論をしてしまう。Y子の精神も限界に来ていることはわかっているはずだ。僕は何をやっているのか。


あなたの見守り方は極端なのよ、とY子。
そうだね。いつもどおりにしてやらないと。
いろいろ話し合ったすえ、ミルクをスポイトで少しだけ与えてみる。
うる、嫌がるが飲む。


***

一夜明ける。
見た目に大きな変化はなし。


病院へ状況を報告したY子から、投薬でいこうというメール。


夜、帰宅してすぐに、今夜はぼくだけでクスリをもらいに病院へ行く。
一人なので運転も荒くなるのか、いつもよりも早く病院につく。
今夜は大勢の患者さんでにぎわっている。
待合室で、飼い主さんどうしが、楽しげにしゃべっている。
診察室から、先生方の快活な笑い声が聞こえる。
ぼくらがいつも接している先生方とはちがう感じ。
あたりまえだけど。


そんなことはないはずだとはわかっているけど、僕だけが病院の雰囲気の中で取り残されている気がする。うちのネコはもうだめなんだよ!今夜かあさってか、しあさってにはもう死んじゃうんだよ! 立ち上がって叫ぶ自分の姿を想像する。もちろん、ここにいる方々もつらいめにあっていて、自分だけがそんな立場にあるわけではないことは頭ではわかっているのだけど。


30分ほど待って、最後の一人になった。女先生、男先生、つらそうに、心配そうに様子を聞く。昨日はすみませんでした、と女先生。クスリを出すのは簡単だけど、クスリを投与するのがいいのかどうなのか、と男先生。輸血は断念したが、それ以外の治療はできる限りやってやりたい、とぼく。熱はどうかと男先生。どちらかといえば冷たい感じがすると言うと、女先生が泣きそうな目で僕を見上げる。


帰宅後、Y子と話し合って、クスリをあげることにする。うる、はげしく嫌がる。水の量が多くて3分の1くらい残る。どうする?もうやめる?とY子。あと少しだから、とぼく。2回目を投与。うる、けふけふ嫌がり、体力の限りを尽くしてキャットタワーの下へ逃げる。昔なら走り回っていたのだろう。もういい、もうやめようよ、かわいそうだよ、もう少ししか時間がないんだよ! Y子が泣く。ああ、やめておけばよかった。うる、タワーに乗ろうとする。1段目に届かず落ちる。昼間にも落ちたらしい。あまりにも哀れだ、ごめんよ、うる。つらかったね。Y子、タワーのてっぺんに乗せてやる。


やがて、うる、Y子といっしょに眠る。
ぼくは思い立ってレコードを聴く。
そういえば、発症以来、ぜんぜん音楽を聴いてなかったな。
じつは昼間から頭の中で鳴っていた曲。
カーティスのピープル・ゲット・レディー。
71年のライブのやつ。それから88年のライブのやつ。
アビ―・リンカーンのバード・アローン。
昔、Iさん夫妻がよく演っていたやつ。

どれほどの経験の質が、このような曲を書かせ、このような演奏を可能にするのだろうか。
カーティスの、約束の地へ向かう列車に乗り込む人々の、神様、準備はできていますという歌詞を、いまのうるとぼくらをめぐる状況に重ねていいのかどうかはわからない。ただ、それを曲解して、死への準備と受け取るなら、それはどのような感情なのだろうか。


着々と現実が進行していることはわかるのだが、いまのぼくには、まだその準備はできていない。