うるが病気になった


愛猫のうるが病気になった。
9月15日生まれの0歳4ヵ月、去年の12月4日に我が家に来てからまだ一月半ほど。
そのうるが、FIPと診断されてから、5日がたった。
FIP猫伝染性腹膜炎)。いまの獣医学では治せない、とても恐ろしい病気。
混乱した数日間が過ぎ、多少は事態を冷静に受け止められるようになった。
いま、ここにうるの様子を記録していくことにしたい。


まずは、ここ数日間の経緯から。


1月17日(火)
地震から11年目の日。
仕事を終え、8時過ぎに帰宅。妻のY子はまだ仕事から帰っていない。いつもはきれいにお皿を空にするうるが、この日はご飯を半分くらい残していた。最近、何だか寝てばかりいるなあと思っていたけど、食欲が落ちたのは初めてのこと。この日は、ひとしきり甘えた後、ほとんど遊ばずに寝てしまったと思う。明日、帰ったら医者に連れて行ってみるか、とY子と話す。

明日、水曜日には、T田さんが修理に出していたクルマを持ってきてくれることになっている。


1月18日(水)
朝、自宅を出る直前、うるが発作を起こした。はいつくばって、苦しそうにけふけふ言う。10時過ぎにT田さんがクルマをもってきてくれたら、タクシーで医者に行くと、Y子は言う。
うるは40度の熱があった。ウイルス感染という診断。室内飼いでも感染はありうると医者は言う。抗生物質を注射してもらって、その日は安静にしている。薬ももらったが、毎日注射をしたほうが早く治るということで、次の日も医者に行くことにする。5日ほど様子を見ろということで、21日にウチで予定していたパーティーは中止。


1月19日(木)
あまり元気になった感じがしない。午前中、Y子が医者へ連れて行く。今度は別の抗生物質を注射。点滴もした。注射のせいか、眠ってるという。まあ、しかし、それで良くなるだろうと思っていた。帰りにM谷が飲みに行きませんかというので、うるのことが気になったが、一杯だけならいいかとつい行ってしまう。結局11時まで飲み。帰ったら、うるもY子も寝ていた。病状はあまり改善されていない様子。熱も下がらないようだ。


1月20日(金)
どうも医者の話の様子がおかしい。診断がころころ変わる上に、「何だと思いますか」だの「それは話が矛盾していますね」だのY子を問い詰めるらしい。結局、この日は解熱剤を注射してもらう。解熱剤の効果で急に元気になり、くるくる遊んでいる、とY子からメール。夕方まで、元気だったようだ。夕方、Y子は仕事へ。今日はY子は最後のコマまでなので11時くらいになる。8時半頃、先に帰宅すると、昨日よりは元気なようだがそれほど元気でもない。見てるうちにどんどん元気がなくなり、不安になる。10時前、Y子のおばあちゃんから電話。ネコのことを相談すると、病院を変わったほうが良いのではないかと言う。11時前、Y子を迎えにK会館まで。出る前に見るとかなり息が荒い。帰ってもどうも様子がおかしいので、猫好きのT間さんに電話。その医者はだめだからすぐ変われと、おすすめの病院を教えてもらう。明日、朝いちに電話してみようと言っていると、1時前くらいにますます息が荒くなり、かなり苦しそうな様子に。たまらず、駄目元でその病院に電話してみると、留守電になっていて可能であればこちらから電話する、15分以内に電話がなければこれこれこの番号をかけろ、とメッセージが流れた。すがる思いでメッセージを残すと、すぐに電話。いますぐ連れて来てくれという。タクシーをすっとばして山を降り、いったん市街地へ、そこからまた山を越えてM地区の病院へ。着いたのは1時半くらいか。この病院は、僕らと同年代の夫婦でやっている。すぐにレントゲンを撮る。そういえば、なぜ前の医者はレントゲンをとらなかったのだろう。結果、胸部に大量の水が溜まっていて呼吸困難であることが分かった。この時点で、可能性として、①重度の肺炎、②FIP、③リンパ腫、④心臓病、という診断。FIPという言葉はこのとき初めて聞いた。②、③であれば、治療はきわめて困難だと言う。うるはそのまま入院となった。とりあえず、利尿剤を飲ませて、様子を見ることに。明日、お昼前くらいにもう一度、ということでこの日はうるを残して帰宅。診察室を出ると、Y子は泣き崩れてしまった。帰って不安な一夜を過ごす。しかし、この時点では、肺炎だと思っていた。それでもかなりのショックだったのだ。不安と心配と疲労とで混乱していたので、少し飲んでから寝る。寝るときに時計を見たら4時だった。

1月21日(土)
朝、お昼前に病院へ。昨夜少しだけ抜いた胸の水の分析から、FIPかリンパ腫である可能性が高いと言われる。どちらも極めて治療が困難で、延命治療になる。Y子はかなりショックを受けたようだ。リンパ腫は治る可能性もある、と女先生がフォローする。レントゲンの結果は思わしくなく、利尿剤の効果はほとんど見られない。血液検査の結果は、明日か月曜日になるという。酸素室の中のうるに面会に行く。うるはすみっこでうずくまり、ガラス越しに僕らが呼びかけると僕らのほうを見るものの動かない。しんどくて不安でおびえきっているようだ。
夜また来ることにしていったん家へ戻る。どうも辛気臭いのでと、K会館近くのファミレスで食事をして帰る。帰ったら、K子おばさんから留守電が入っていた。Y子が電話すると、I沢のお医者さんで話をしてくれたようで、電話で相談に乗ってくれるという。記憶が混乱しているが、Y子はおばあちゃんとも電話をしていたと思う。その前後、T間さんから電話。昨夜、あの後、病院にいって即入院したと言うと、とても驚いていた。Y子は少し横になる。しばらくして僕も少し休もうかと思っていると、病院から電話。利尿剤の効果がまったく見られないので、やむをえず注射で片方の水を抜いた、水は80CCと驚くほど大量にたまっていた、緑色がかったどろっとした水でどうもFIPの典型的な症状ではないか、検査の結果はまだだがすぐにステロイドを投与したほうがよいと思うがそれでよいか、と男先生が言う。少しショックを受けるが、そうしてくれ、と言った。しばらくしてY子が起きてくる。たしか、その後で、Y子がI沢のお医者さんに電話したはずだ。FIPだと100パーセント助からない、もって6ヶ月だろう、と言われたようで、Y子は電話しながら泣き崩れる。おばあちゃんに電話したのはその後だったか。おばあちゃんと話すY子の声を聞いていると、いきなり涙が出てきてどうしようもなくなる。ともかく、祈るような気持ちで、早めに病院へ行く。
病院には、先生たちしかいなかった。あの後、もう片方の水も抜いた、すでに半分の水を抜いて少し楽になっているので暴れたため、こちら側は全部は抜けず、それでも60CC出た、とにかくまずあってやってくれ、と言われて入院室へ。うるは、酸素室からふつうのケージに移っていた。点滴をして、エリザベスカラーをしている。Y子が呼びかけて、よしよしすると、寄ってきてごろごろごろごろ言う。Y子は一生懸命、話し掛けながらよしよししているが、僕は涙が出てきてどうしようもない。女先生が少しのぞいて、どうですか、と心配そうに言う。ごろごろ言ってるというと、少し驚いた様子。
T間さんの声がする。T間さんの猫ちゃんもひどい病気なのだ。しばらくすると、うるは安心したのか眠ってしまう。僕らは入院室を出る。男先生が、食欲さえ戻って、明日状態がよければお家へ帰してあげたいと言う。FIPかリンパ腫かは半々の可能性ですか、と聞くと、僕は7−3くらいの可能性だと思いますと言う。しかし、この日は、うるがだいぶ良さそうだったので、落ち着いて受けとめられた。T間さんに会う。うるをちょっとだけ見ていいかと入院室の外から見ると、しゃーをした。Y子とT間さんは、元気にしゃべっている。しかし、僕は涙をT間さんに見られるのがいやで、黙っていた。
夜、10時半頃、Y子が休んで、僕も休もうとしていると、T間さんから電話。いろいろ聞いてもらって少し楽になった。しかし、酒を飲むと、涙が出てくる。たまらなくなって、あちこちに電話する。Kさん、Nさん、ごめんなさい。

1月22日(日)
昨夜の飲みすぎがたたり、少し寝坊してお昼前に病院へ。まずは入院室。うるはすごく元気になっていた。僕らを見て、ケージから出てきそうになる。今日は朝からご機嫌さんですよ、と男先生もうれしそう。ああ、ごはんもちょっとだけ食べたねえ、と女先生。退院が決まった。男先生が、思いつめた表情で、気合を入れて、FIPです、と一気に病気の説明をする。心なしか、目に涙がたまっているようだ。でも、この日までにあまりに多くのことがあったせいか、それほどショックもなく、受けとめることができた。
となりのスーパーで買い物してくるからクルマで少し待っててと、Y子。今日はもうお家でうると一緒にいよう、どこにも行かないでいようと。駐車場のクルマの後部座席で、うるに声をかけながら待つ。しばらくすると、僕らが最後の患者だったんだろうな、男先生が出てきて、僕らのクルマを見て近寄ろうとするが、僕の顔を見ると会釈して過ぎ去る。Y子はだいぶたってから、ものすごい買い物袋をさげて走って帰ってきた。
お家に帰ったうるはおおはしゃぎだ。興奮して走り回って、ささみをやると完食した。やがて疲れて眠ってしまう。Y子も疲れたのだろう、横になる。僕はまた休むタイミングを逃して、インターネットでFIPのことを調べる。すべからく厳しい。だめだ、涙がとまらない。T間さんに電話。退院しました、と伝える。