一ヶ月

4日の木曜日で、こうが亡くなってちょうどひと月が過ぎた。こうがわが家にやって来たのは2006年の4月4日だったから、ちょうど10年と3カ月を家族として一緒に過ごしたことになる。あらためてひとつの時代が終わったような気がしてならない。それにしても10年と2カ月と20日ほどの楽しい思い出がありながら、思い出すのは最後の闘病の10日あまりのことばかりというのはどういうことなのだろうか。

猫の肥大性心筋症は、突然死が多いことでも知られている。こうも発症したあの日にそのまま亡くなっていたほうが本人(本猫)にとってはどれだけ楽だっただろう。だけどそれでは僕らがあまりにも悲しむだろうからと、僕らに心の準備をする時間をくれたのかなと思う。次の写真は、発症するちょうど一週間前の6月16日、こうがまだ元気だった頃に最後に撮った写真である。気持ちよさそうに眠っているときに撮ったんだが起こしてしまって悪かったな。

ちなみにその同じときに撮ったけんの写真はこちら。

いつも、こうはちょっとした物音などですぐ目を覚ますのだが、けんはいつも安心しきって熟睡していた。こうちゃんが守ってくれるからと安心していたんだろう。この平和な日々がまだまだ続くと思っていたんだけど……。

こうは、その最後の数日間でいろいろなことを僕たちに残してくれた。そのうちのひとつが「片付け」である。長年、僕の部屋には本やら山道具やらなんやらが雑然と積み上げられていて、けんこう兄弟も危険を感じるのか滅多に奥まで立ち入らないほどであったのだが、病気になってからのこうはなぜか入るようになった。だからできるだけ動きやすいようにと少しずつ荷物を動かしたりして片付けていたのであるが、いつの間にか自分でも驚くほどきれいに片付いたのである。もっと元気な時に片付けてやっていたらこうも喜んで僕の部屋で遊んでいたのかもしれないが、最後に「きちんとお片付けしないとだめですよ」と僕に伝えてくれたような気がしてならない。

今朝、そのこうの遺志を継いで、さらに片付けを進める。雑然といろんなものを詰め込んでいたダンボール箱を整理していると、けんこう兄弟が子猫時代につけた爪の跡が見つかった。

注文していた三角コーナー用テレビ台が届いて居間も大模様替え。その勢いで猫部屋の猫タワーも模様替え。窓が大きくなって明るくなったが、けんがテレビを大警戒している。