お別れ

入院していた祖母が逝った。92歳と11ヶ月だから、俗にいう大往生だろう。土曜日の夕方、母から電話をもらってクルマで2時間後に駆けつけた僕が、祖母の顔を見て手を握ってそれから電話をしに少し病室を出たそのあいだに、母に見守られながら祖母は息を引き取った。

母から電話をもらった後、祖母は少し持ち直したらしい。僕が見たときも、落ち着いているように思えた。少し安心して電話をかけに行った後、戻ってくると病室の前に母が立っている。いま(酸素などを)はずしてもらっているから。え、なんて? 亡くなったんや、いま。二人であらためて病室に入る。先ほどと変わりないようにも思える。僕が出て行った後、少しだけ息が荒くなったかと思うとそのまま息を引き取ったという。

この一年ほどの間、意識もはっきりしないような状態であったのだが、まるで僕を待っていたかのようで、ほんとうにこうした不思議なことはあるものなのだと思う。

やがて父が、叔父が駆けつけてくる。葬儀場へ移動。従姉妹たちもやって来る。翌日からの打ち合わせをしてその夜はいったん帰宅。帰って電話をすると、母たちはまだ葬儀場にいた。

日曜日は御通夜。F岡から弟もやって来た。孫たちで遅くまでビールを飲みながら話す。厳しいおばあちゃんだった、よく怒られたよと誰もがいうが、不思議と僕の記憶の中の祖母は優しげに笑っている表情ばかりだ。初孫だから可愛がってもらったからと母。おばあちゃん子だった僕は、幼稚園、小学校と夏休みをはじめ休みはそのほとんどを祖母の家で過ごした。中学に入って、結婚した叔父夫婦が祖父母と同居するようになってからは足も遠のいていったので、思い出すのは小学生の頃のことばかりだ。

泊り込みの夜が明ける。昨夜のビールのせいで、少し体がだるい。窓の外を見ると素晴らしい秋晴れである。

ふと、中学の頃読んだ井上靖の『しろばんば』を思い出す。やはりおばあちゃん子だった主人公が祖母の死に際して不思議と涙が流れなかったというシーンがあるのだが、その主人公の感情が理解できずに、いつか僕の祖母も亡くなるのだと自分の身に置き換えて想像すると、とてつもなく悲しい気持ちになった、そのことを思い出したのである。当時ははそれが不可避に近く起こるように思われたのだ。あれから25年以上、かつて思っていたよりもずっと後にそれはやって来たが、やはり最後のお別れの際にはどうしようもなく涙が流れた。

あまり昔のことを話したがらない、気の強い大阪の女性だったのだと思う。93年近い祖母の生涯の、ほんの少しの部分しか僕は知らないのだろう。もっといろいろと話をしておけばよかった。しかしもはやそれもかなわぬいま、その祖母の人生のわずかな部分、僕とクロスした時間の思い出を、急に秋めいてきて少し肌寒いほどでもある今夜、僕はビールを飲みながらY子にしみじみと語るのである。