喧嘩

甘えるこう(三)

ひょんなことで、Y子と喧嘩をしてしまった。久しぶりの大喧嘩である。最初は近くで休みながら静観していたけんこう兄弟、騒ぎがエスカレートするにつれ、飛び起きて全速力で逃げ出してしまった。見に行くと、無人の僕の部屋のベッドの下にこうが、押入れの入り口にけんが隠れている。相当驚いた様子で耳をくるくる動かして警戒している。身の危険を感じたのかもしれない。ごめんごめんもう大丈夫だよとなだめる。

なんだ。これに全部書いてあるではないか。

現代という時代を特徴づけるのは、かつてない私的領域と個人の強調である。…その〔社会福祉政策や再分配政策の〕結果、もはや古典的な公的・私的という二分法には属さない、いわば社会的とでも呼ぶべき巨大な領域が発展することになった。…/これに対し、一九七〇年代頃から、オイルショックに端を発する経済危機によって、福祉国家の限界が語られるようになる。…この停滞への克服を目指し、主に英米などアングロサクソン諸国を中心に登場したのが、新保守主義イデオロギーである。肥大化した福祉国家を批判し、政治的には国家の役割を軍事や外交に絞り込むことで「強い国家」の再建を目指すとともに、経済的には市場メカニズムと民間のイニシアチブを強調する新自由主義的改革を進めることが、その主な内容であった。…この場合重要なのは、巨大化した社会的領域が実際にどれだけ解体されたのか、ということではない。それ以上に注目すべきなのは、公的と私的という二分法があらためて純化された形で再導入され、イデオロギー的に強調されたということである。

…「社会主義の実験」とは、端的に言えば、理想社会をめぐる実験であった。フランスにおける社会主義は、マルクス主義に限定されない広いヴェクトルを持つが、現代社会の不平等や搾取に対して厳しい批判を加え、その批判を前提に、個と共同体の対立を克服する新しい共同性の可能性を模索する点において共通点を持っていた。すなわち、これらの社会主義はいずれも、個か共同性かという二者択一をとらず、伝統的な共同体から解放された諸個人を前提に、そのような新しい個人から成る新しい共同性を追及するということを、最大の政治的・知的課題としたのである。/したがって、二〇世紀中盤に深まった「社会主義の実験」への懐疑の影響は深刻であった。…彼らは「社会主義の実験」の挫折を深刻に受け止め、その乗り越え、あるいは内在的批判を目指して、自己の政治哲学を培っていったのである。

うーむ、なるほど。しかしこの先に進もうとすると、フランス語できないと駄目なんだよなあ…。

明日は同業者の集まりがあるのだが、さて行くべきか、行かざるべきか。