ドア

鏡に足をかけて熟睡

猫第一主義のわが家は、つねにすでにすべての部屋のドアを開け放してあり、けんこう兄弟がいつでも通れる状態にしているのであるが、今夜何気なくショスタコーヴィチの11番が聴きたくなって居間で大音響で聴いていると、自室で勉強していたY子がたまりかねて、ふと居間と自室のドアを閉めてしまった(悪意はない、念のため)。するといままで猫タワーで丸くなっていたこうが、突然降りてきて閉まったドアを驚いたように見ているではないか。そのことを知らせようとY子の部屋に行くと、今度は部屋の中にいたけんが、これまた驚いたように閉まった(正確にはいま開けた)ドアのほうを見つめている。けんは相当驚いたようで、僕がドアを開けたとき、歩きだそうとした姿勢のままでドアのほうを凝視しながら固まっていた。少しだけ開けたドアを、異常がないかどうか確認するように、けんが匂いを確かめにやって来る。こうも家の中を点検し始めた。ごめんごめんなにも変わったことはないよー、とY子。けんこう兄弟を驚かせてしまったとY子は深く反省している様子。まあしかしドアくらいという気もするが、ふたりがやって来てからほとんど閉めてないからなあ。


今朝はこの冬初めての積雪。先日のみぞれまじりの雪にはあまり関心を示さなかったけんこう兄弟も、降り積もった雪と降りしきるでっかいぼた雪には興奮気味。


午後は政治的なもの@梅田、O氏。電車で雪の京都を離れると、嘘のように晴れ間が広がってきた。しかし気がつけば1月ももう後半。そろそろ実務体勢に入らなければ。


あれから13年。あえて自分のことについてのみ考えるなら、あの頃からずいぶん変わった気もするし、同時にそうでない気もする。それはまるで僕の中の1789年か、あるいは1794年なのかもしれない。その日付からの時間の意味を僕はずっと問い続けていくのだろう。