徹夜

熟睡するこう

某研究会の準備がままならず、結局徹夜で火水と東京へ。デモクラシーとか正戦論とかコミュニティ・ラーニングとか社会的連帯とか。しかし徹夜明けの酒は回る。よく眠ったはずなのだが翌日もけっこう辛く、京都に帰り着いて夕飯も食べずに眠ってしまう。せっかく帰ってきたのにけんこうはさぞご不満かと思いきや、すっかり慣れきってなんとも思っていなかった様子。少し寂しい。

貧困と共和国―社会的連帯の誕生

貧困と共和国―社会的連帯の誕生

貧困と連帯概念の発見をめぐる堅実な19世紀フランス思想史。日本ではなかなか文脈の分かりにくい問題だけに、この手の本がもっともっと出版されてほしい。ひとつ疑問なのは、第一共和政から七月王政に飛ぶのだが、第一帝政時代はどうだったのかな?


本日、ちょっとした工事の人がやって来たのだが、知らない人が部屋に入ってくるといつもは隠れるけんこう兄弟、今日はなぜか珍しくけんが近寄ってきて、工具の入ったかばんをふんふん。それに気づいた工事の人、それはそれは驚いた様子でY子のほうをじっと見つめたとか。Y子いわく、あれは猫を見た人間の表情ではないわ、アライグマか何かかと思ったのかしら。うーむ、僕らにとっては臆病で甘えたがりでフレンドリーなイメージのけん、しかし病院の先生もビビッてたみたいだし、知らない人が見たらでかすぎてちょっと怖かったりするのだろうか…。


出張前の徹夜時には、けんこう兄弟も不思議そう。いつもは起き出して走り回る時間になっても、ふたりで居間でじっとしている様子。ふと居間に見に行くと、暗がりのなかで珍しくけんとこうがくっついて休んだり、お互いに毛づくろいをしあったり。それはそれは微笑ましい光景であった。ふたりくっついている様子がだんだん見られなくなって寂しく思っていたのだけれど、ふたりだけのときはこんなふうに一緒にいるのだろうか。この様子が見られただけでも、徹夜した収穫はあったと思うのである。