お風呂と洗濯機

洗濯機上で蛇口に頭突。

夜、眠る前にこの日記を書くのであるが、こうしてパソコンに向かっているとだいたいいつも、それまで眠っていたはずのこうが起き出してきて、しきりに甘えてくる。こうの甘え方は少し変わっていて、お風呂の前でふにゃーと鳴いて呼んだかと思うと、こちらが近寄るのを確認してから湯船にぽーんと飛び込む。湯船の中で撫でられるのが大好きなのだ。ごろごろごろごろ言いながら頭突きのように頭を摺り付けてきたり、お腹をみせて転がったり。しばらくして満足すると自分からまたぽーんと飛び出していく。途中でだっこして連れ出したなら、やはり不本意なのか、またしばらくしてお風呂に飛び込んでしまう。このほか、洗濯機の上で甘えるのも大好きで、この場合は撫でてやるとごろごろ言いながら、なぜか洗濯機の上の水道の蛇口に頭を摺り付けながら甘える。そんなこんなで、日記を書くのもけっこう時間がかかるのである。(今日はこれまでのところ、甘えに来てはいないが)


ミシュレはエベール、デムーラン、ダントンの処刑からテルミドール八日まで。バスチーユ襲撃からここまでわずか5年。とはいえ抄訳の文庫本2冊、1週間ほどの読書でこれらの出来事のすべてを理解するのはそもそも無理なことだとは思う。歴史や政治というものは、いちがいに肯定したり否定したりするべきものでもないのだろう。ミシュレは革命期の人物たちを、あるときは同情的にあるときは鋭い批判をもって、その人間的な揺れをふくめて描いていく。たとえばロベスピエール。冷酷で行動的で打算的であると同時に、なんと弱く理想主義的で優柔不断であることか。テロのさなか、コンドルセサン=ジュストが、ほぼ同時期に書いた文章にミシュレは注目する。このふたりとも、書きとめていたのは夢である、とミシュレは言う。それがいかに異なる夢であっても、将来社会への理想と人類への愛に貫かれていたという点では同じであると。そのコンドルセもみずから命を絶った。残るはテルミドールの二日間、それは明日じっくり読むことにしよう。