工事

こうです。

『砦に拠る』について、前回のエントリでは何か悲壮な闘いの記録のような感じになっていたので若干フォロー。もちろん局面局面では激烈なこともあったのであろうが、本全体の印象としてはそうした悲壮感はいっさいない。室原老人はいたずらっ子じみた茶目っ気たっぷりの戦術で抵抗する一方、ものすごい読書量で法律やダム問題について勉強し、その主張にはダムを作る側も一定の尊敬の念を抱きながら接していたらしい。最終的にはたった一人の抵抗となるわけでその孤独を思うと胸が痛いが、それでいて「意地悪じいさん」のような頓智の効いた抵抗を続けるのだから面白い。「敵側」の工事事務所長とは人間的なつながりもあって、一緒に旅行に行ったこともあったとか。40年ほど前の、夢のようなお話。結末は大団円とはいかなくとも、しみじみ胸を打つものがあった。良い記録文学だと思う。

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最近、家の前で工事をしていて、その音が嫌なようで、「けん」も「こう」も昼間は押入れや反対側の部屋に隠れてしまっているらしい。工事初日には、ブルドーザーを初めて見た「こう」が、うなりながら威嚇していたほどだ。早く工事が終わるといいのだけれど。

最近、「こう」は朝、僕が出て行く前に甘えるようになった。足元にまとわり着いてきて離れないので、今朝は結局朝ごはんを食べ損なってしまう。もう時間がないので、ちょっとひげ剃ってくるから待っててなとひげをそってあたふたと着替えていると、洗面所のそばで待機していたこうがものすごい勢いで走ってきて、待ってたのにどうしてと言わんばかりに再びものすごくまとわりつく。伸び上がって抱きついてきたり。ズボンをぱりぱりしたり。ごめんごめん、ちゃんと待っててくれたんやな。ある程度言葉は分かるので適当なことは言えないと反省する。