ケージ

外枠をはずしたケージ

けんこう兄弟がまだわが家にやってきたばかりの頃、せめて家に慣れるまではと、留守にする際には必ず二人をケージに入れていた。けんこう兄弟を迎えるにあたって、大きな「3階建て(天井を入れると4階建て)」のケージを購入したのである。それがやがてけんこう兄弟もわが家にすっかりなじみ、ケージの中に二人を入れることもなくなった。それでも最初の頃は、自発的にけんもこうもたまにはケージの中で眠ったりしていたのだが、いつの間にかそういうこともなくなってしまった。それでそのケージはと言うと、トイレを設置した1階は使われるものの、2階と3階はほとんど使われることのないままに、また扉も閉められることもないまま、部屋の隅っこに置かれていたのである。

先週の土曜日。夜、Y子と話していて、ふとこのケージの外枠を全部はずしてみようかということになった。外枠がなくなれば、遊び場として二人ともまた利用するのではないかと考えたのである。早速、二人ではずしにかかる。かなり大型なのでけっこうな重労働だ。それにいざはずそうとすると、気配を察知したけんが、いきなり天井に飛び乗ってきた。こうも邪魔する気満々で近寄ってくる。二人とも、さっきまで眠っていたはずなのであるが。

何とか二人をなだめすかして、外枠をはずす。やたら広々すっきりした感じ。部屋の隅っこから窓辺に移動してみる。早速、二人とも興味津々で確認しにやって来て、やがて中に入り、2階から3階へと登って試している。けんは1階が気に入ったのか、1階で寝そべってくつろぎだす(トイレは別の場所に移動した)。こうは3階で唯一残された天井の外枠にちょっかいをかけている。

ああ、二人とも喜んだみたいでよかった。なぜいままで思いつかなかったのだろう。それにしても、けんもこうも模様替えのようなものがまったく平気で、むしろそういう刺激が大好きのようである。トイレの場所を移動したので気にするかとも思ったが、まったく意に介せずという感じだ。二人とも、いつもは眠っている時間なのに、興奮して走り回っている。

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遅ればせながら

社会 (思考のフロンティア)

社会 (思考のフロンティア)

たいへん刺激的な読書体験であった。とくにローザ・ルクセンブルクベンヤミン、ルソーの読解には興奮した。いろいろ考えさせられる。たとえば第一部のデモクラシー論と第二部の平等論は理論的にどう結びつくのか。社会的なものと厚生の関係。厚生はwelfareか? だとすれば「ケインズ的な福祉国家」はどう位置づけられるのか。じっくりこれらを考えて行きたい。某D研で検討しませんか?

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こうは、なぜか甘えたいとき、あるいは寂しいときに、たとえば洗濯機の上のような高いところに登るようだ。これも土曜日の話。洗濯機の方角から鳴き声が聞こえるので近寄ってみると、案の定、こうが洗濯機の上で鳴いている。よしよししてやるとごろごろ言いながら、くねくね甘えて転がる。ひとしきり甘えて、立ち上がろうとしたそのとき、こうが足を滑らせてしまった。危ない!と僕が大声を出す間に、見事に床に着地。隣の洗面台で足を打ったように思えたので心配したが、何事もなかったかのようにふたたびくねくね甘えてくる。僕の大声を聞いて別の部屋にいたY子とけんが驚いてやってくる。猫だから大丈夫に決まってるじゃない、とY子。ああでもびっくりしたなあ。