神戸から

detti2006-05-29

昨日、両親がやってきた。高度成長期を生き抜いた二人はじっとしていることが苦手で、来るや否や飯食いに行こ、飯食ったかと思えば大原まで行こ、とあわただしい。親父もおふくろも、引退した今も、旅行に囲碁に野球に母方の実家にと、毎日飛び回っている。こんなふうに人生を送ってきたんだろうなと思うと、少し感慨深い。


けん、こうともにおふくろになつく。特にけんは、二人の前でいきなりテーブルに転がって自己紹介。おふくろはけんこう兄弟のでかさに驚いたようだが、少しは慣れたよう。でも、この倍くらいになると言うと、かなりびびっていた。親父はもともと猫好きなのだが、無理やりなでようとするのですぐに逃げられる。特にけんは頭の上から手が来ると驚くので、下からゆっくりよしよししてやるのがこつなのだが。


両親とY子と4人で、大原・寂光院へ行く。再建されてから行くのは初めてだ。寂光院は6年前に放火で全焼、すべて以前のつくりと同じようにと多くの人の多大なる努力によって再建された。以前のすばらしくひなびた雰囲気がないのは仕方がない。もともとの建物は、建礼門院の時代のものではなく、400年前に再建されたものだったそうだ。しかし、歴史の激動に耐え、セキュリティという意味ではもっとも安全なはずの現代にそれが失われてしまったことになんともいえない皮肉を感じる。門前には、近年掘削された温泉の案内が続く。もともと、大原一帯は観光で訪れる人もほとんどなかったのが、70年代以降、秘境ブームの中で急速に多くの人が訪れるようになったという話を聞いた。当時は俗化されない「京の田舎」を求めて多くの人が訪れたのだろう。が、いまは温泉のひとつでもないとということか。


とはいえ、本堂で丁寧な説明を聞いていると、建礼門院の過ごした気の遠くなるほど静かな時間を感じることができるようで、粛然とした気持ちになる。20代にしてわが子を、一族を、それこそ人生のすべてを失い、死ぬことすら許されなかった彼女の気持ちを想像することはとてもできないけれど。