新しいケージを

いよいよ組み立てようと、昨夜、Y子と二人でダンボールを開ける。大きいので組み立てはけっこう大変。だいぶ形ができてきて、ようやくあと一息というところで、部品の一部に不具合を発見。けっきょく、取り替えてもらうことに。こういうことって、あるんですね。不備のある部品を取り外すのはかなり大変そうだが、いまは考えないことに。


うるにもこれくらい大きなケージを買ってやればよかったなあ。小さくて窮屈だったかもしれないなあ。


ジャンケレヴィッチを少しだけ読む。

死とはなにか

死とはなにか

死は人口統計学の問題であり、医学の問題であり、その意味ではこの世でもっとも陳腐な現象です。しかしまた同時に、死は個人的な悲劇でもあります。…個人的悲劇の唯一性と社会現象の陳腐性の間には、越えがたい溝があります。…こうした第三人称的な死に対する第一人称の死、つまり私の死については、語ることができません。なぜなら、それはまさしく私の死だからです。…こうしたわけで、哲学的な経験として残るのは第二人称の死、つまり身近なひとの死です。これはいま述べたふたつの死の曲線に、いわば接線として交わる大切な経験です。…この死は、社会現象としての非人称の死、匿名の死ではありませんが、しかし死ぬのは私以外の別のひとです。…しかし同時に、その死は私を内側から揺り動かします。もう一歩、ここを越えれば私の死、私自身の死になるでしょう。(13〜14頁)

逆にいえば、身近な死を「真の経験」にするためには、それを「哲学的な経験」にしなければならないということか。


ここまではよくわかる。しかしここから先を考えるのはとてもむずかしい。


今日の1枚。

Amazing Grace: The Complete Recordings

Amazing Grace: The Complete Recordings

ゴスペルを聴きながらジャンケレヴィッチを読む矛盾。
凄すぎて聴き通せませんでした。本読みながら聴くのは無理かも。